
運動ができる子は勉強もできる?体力と学力の相関関係や運動がもたらす脳への影響を最新研究に基づき解説
子どもの学力向上のために、勉強時間を増やしたり、塾に通わせたりすることを考えるお母さん・お父さんは多いかもしれません。しかし、日本全国で行われた大規模な調査や複数の研究において、学力とは無関係に思える「運動」こそが、子どもの学習能力や認知機能の発達に重要な役割を果たしていることが示されています。
この記事では、体力と学力の相関関係についての最新研究に基づき、運動が子どもの学力を伸ばすメカニズムについて解説します。脳が著しく発達する幼児期と学習習慣が本格化する学童期において運動が与える影響や、子どもの体力と学力の両方を伸ばすためにご家庭で実践できる具体的な方法についてご紹介します。
「運動ができる子は勉強もできる」は本当?
「運動ができる子は勉強もできる」
「スポーツが得意な子は学力が高い」
これらは単なる俗説なのか、もしくは科学的な根拠があるのか、近年、数多くの研究が行われてきました。その結果、子どもの体力と学力の間には無視できない関連性があることが明らかになっています。
「体力と学力」の相関関係を示す複数の研究
日本全国の小・中学生を対象とした複数の大規模調査では、一貫して「体力レベルが高い子どもほど、学力テストの成績も高い傾向にある」という結果が報告されています。
川村学園女子大学の生駒忍氏の研究
この研究では、文部科学省とスポーツ庁が実施している「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」(全国体力テスト)および「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)の都道府県別データについて分析しています。平成20年度の体力テスト(小学5年生・中学2年生)と平成21年度の学力テスト(小学6年生・中学3年生)の結果を比較した結果、小学生・中学生ともに、体力テストの合計点が高い都道府県ほど国語や算数・数学の学力テストの平均点も高いという正の相関関係が確認されました。※1
なお、令和6年度の全国体力テストおよび全国学力テストにおいても、同様の相関関係がみられます。都道府県により傾向に差はありますが、例えば、福井県と石川県は小学校・中学校ともに、全国体力テストと全国学力テストのいずれも上位5位に入っています。※2、3
生駒氏の研究では、都道府県別の1人当たり県民所得を考慮に入れた分析も行われています。その結果、所得の影響を統計的に除いても、依然として体力は学力に対して有意な予測力を持つことが示されました。※1
つまり、体力と学力には、経済力の影響だけでは説明できない独立した関係性があると考えられます。
多治見市教育委員会 教育研究所による研究
平成31年に岐阜県多治見市で行われた調査でも、同様の傾向が見られました。この調査では、小学5年生と中学2年生を対象に個人の全国体力テストの結果と全国学力テストの結果を結びつけて分析しています。小学生では、全国体力テストの総合評価が最も高いA群の子どもたちは全国学力テストの得点が低い層が少なく、得点が高い層が多いという結果でした。逆に、体力レベルが低いD群やE群の子どもたちは、全国学力テストの得点が低い層の割合が高くなっていました。中学生では、A~C群の学力にあまり差は認められませんでした。この調査では、特に応用力が問われる問題において体力と学力の相関がより強く見られることも指摘されており、運動能力と思考力・問題解決能力との関連を示唆しています。※4
岐阜協立大学の大坪健太氏らによる研究
岐阜協立大学の大坪健太氏らの研究チームは、平成29年度の全国体力テストおよび平成30年度の全国学力テストをもとに、小学6年生1,213名を対象とした研究を行いました。前述した2つの研究と同様に、全国体力テストの偏差値と国語・算数の全国学力テストの偏差値の間に関連が見られました。さらに、この研究では生活習慣との関連性についても分析しています。体力と学力の両方が高い子どもは、運動習慣や学習習慣(計画性、準備・復習など)、基本的な生活習慣(睡眠、朝食)が良好である一方、両方が低い子どもはそれぞれの習慣の乱れが顕著であることが示されました。※5
ここまでご紹介した複数の調査をもとに、一般的な傾向を表にまとめました。具体的な数値は調査年度や対象集団によって異なりますが、体力レベルと学力の間には明確な関連が見られることがわかります。
体力レベルと学力スコアの関連性 ※4、5、6
体力テスト総合評価 | 学力テスト結果の傾向 |
---|---|
A (高い) | 平均正答率が高い傾向 学力高得点層の割合が多い 学力低得点層の割合が少ない |
B | Aに近い傾向 |
C (普通) | 平均的な傾向 |
D | 平均正答率が低い傾向 学力低得点層の割合が多い 学力高得点層の割合が少ない |
E (低い) | Dと同様、またはさらに顕著に低い傾向 特に中学年で学力低得点層の割合が高い傾向 |
生活習慣との関連 | 傾向・指摘 |
---|---|
体力・学力ともに高いグループ | 運動習慣、学習習慣(質)、生活習慣(睡眠・朝食)が良好 ※5 |
体力・学力ともに低いグループ | 上記の習慣の乱れが顕著 ※5 |
朝食摂取 | 毎日食べる子ほど体力合計点・学力調査平均正答率が高い傾向 ※6 |
海外で行われた同様の研究
国内の調査結果は、海外の複数の研究でも裏付けられています。
アメリカの研究
カリフォルニア州の小・中学生を対象に行われた調査では、運動能力が優れた子どもは学力テストの結果も良いことが示されました。※7
ドイツの研究
ドイツのベルヒテスガーデン地域の小学校で収集されたデータにおいても、運動能力が高い子どもほど学力や集中力が高く、特に心肺能力(持久力)と集中力の間に強い相関が見られました。※8
スペインの研究
スペインの中学生444名を対象とした4年間の追跡調査でも、体力レベルが高い生徒のほうが、学業成績が良い傾向にあることが示されました。※9
このように、国内の大規模調査から特定の学校での研究、さらには海外の比較研究に至るまで、体力と学力の間に正の相関関係が一貫して観察されています。
運動が学力を「引き上げる」可能性も
複数の研究により、体力と学力に相関があることが示されていますが、相関関係は必ずしも因果関係を示すものではないことには留意する必要があります。その上で、運動が学力や認知機能を向上させる可能性を示唆する研究も報告されています。
操作変数法による運動と学力の因果関係の推定
青山学院大学の研究グループが行った研究では、小学生と中学生のスポーツ活動頻度と学力(自己評価)の関係を分析しています。分析にあたっては「操作変数法(IV)」という統計手法を用い、運動と学力の因果関係の推定を試みました。分析結果の概要は以下の通りです。※10
青山学院大学の研究グループによる「スポーツ活動頻度別OLS推定」をもとに作成
活動頻度 | 月1日 | 月2、3日 | 週1日 | 週2、3日 | 週4、5日 | 週6、7日 |
---|---|---|---|---|---|---|
小学生 男子 |
正に有意 (+0.119)※ |
正に有意 (+0.277)※ |
||||
小学生 女子 |
正に有意 (+0.515)※ |
|||||
中学生 男子 |
正に有意 (+0.309)※ |
正に有意 (+0.296)※ |
||||
中学生 女子 |
正に有意 (+0.401)※ |
正に有意 (+0.455)※ |
正に有意 (+0.499)※ |
※いずれもスポーツ活動の頻度が月1日未満の子どもと比較した場合に、1%、5%、10%水準で優位であった項目
以上の推定結果より、小・中学生の男女すべての分析において、活動頻度が高いほど子どもの成績が高い傾向にあることがわかります。スポーツ活動の頻度が、学力に対して統計的に有意な「正の因果効果」を持つ可能性が示唆されました。※10
操作変数法によるこの分析では、単純な相関分析(OLS分析)よりもスポーツ活動が学力に与える影響の大きさがより大きく推定されています。これは、単純な相関関係だけを見ていると、運動が学力に与える本当の効果を「過小評価」している可能性があることを意味します。※10
例えば、勉強が忙しくて運動時間が取れない子どもがいる場合、運動不足と学業成績の低さが同時に見られるかもしれませんが、それは運動不足が原因で成績が低いのではなく、単に両方に割ける時間がないだけかもしれません。操作変数法は、このようなほかの要因による見かけ上の関連を取り除き、運動そのものの効果を抽出しようとします。青山学院大学の研究グループのこの分析により、運動にはこれまで考えられていた以上に学力向上効果がある可能性が浮き彫りとなりました。
運動と脳機能の関連性に関する研究
この因果関係を裏付けるように、運動が脳機能に直接働きかけることを示す研究や、実際に運動を取り入れることで学業成績が向上したという報告もあります。
アメリカのイリノイ州で行われた研究
運動後の子どもたちの脳波を測定したところ、脳活動が活発になることが観察されました。運動による刺激や体力向上が、記憶、認知、論理的思考、集中力といった学習に不可欠な能力と関連していることが示唆されています。※7、11
スウェーデンのブンケフロの小学校
スウェーデン南部スコーネ地方にあるブンケフロという町の2つの小学校において、体育の授業を毎日行うクラスと通常通り週2回行うクラスを比較したところ、男女ともに国語・算数・英語の3教科の成績が飛躍的に向上していました。さらに、その効果は何年も続いたといいます。※12
アメリカの幼児~小学5年生の縦断的研究
アメリカ疾病予防管理センターのスーザン・カールソン氏らは、体育に費やした時間と学業成績の関係について、幼稚園から小学5年生までの生徒を対象とした縦断的研究を行いました。その結果、男子生徒においては相関関係が見られなかったものの、女子生徒においては体育の授業時間が多い(週70~300分)場合、少ない(週0~35分)場合と比べて、算数と読解の成績にわずかに有意な向上が見られました。※13
アメリカのファーマン大学の研究
この研究では、小学校のカリキュラムに身体活動を取り入れたことで流動性知能と学業成績にどのような影響があったかを調査しました。その結果、1日あたり平均1,200歩(週平均3,600歩)を歩いた実験群の子どもたちが、流動性知能テストで有意に優れた成績を収めたことが報告されています。※14
流動性知能とは新しい状況に適応して問題を解決する能力を指し、理解力や学習能力、問題解決力と密接に関わっています。
さらに、長期的な視点で見たほかの研究でも、幼少期の体力や運動習慣がその後の学業成績に影響を与える可能性が示されています。
岡山理科大学の研究チームによる2年間の追跡調査
岡山理科大学の笹山健作氏らは、日本の中学1年生と高校3年生計1,189名を対象とした2年間の追跡調査を行いました。その結果、ベースライン時および追跡調査時の体力レベルが高い生徒は、低い生徒に比べて国語・数学・英語の成績が高い傾向にあることが示されました。※15
早稲田大学の研究チームによる1年間の追跡調査
早稲田大学の石井香織氏らは、日本の小学生を対象とした1年間の追跡調査を行いました。その結果、スクリーンタイムが短く身体活動量が多い子どもは、スクリーンタイムが長く身体活動量が少ない子どもに比べて、1年後の学業成績が高い確率が2.75倍になることが報告されています。※16
非認知能力
前述の青山学院大学の研究でも考察されているように、運動が学力を向上させる理由として、スポーツ活動を通じて培われる「非認知能力」が関与している可能性が考えられます。※10
非認知能力とは、目標達成意欲、粘り強さ、自制心、協調性など、テストの点数では測れない内面的な能力のことです。社会情緒的スキルとも呼ばれます。※17
スポーツや運動に取り組むなかで、子どもたちは目標を設定し、困難に立ち向かい、仲間と協力し、ルールを守るといった経験を重ねます。こうした経験を通して育まれる非認知能力は、学習場面において集中力や計画性、諦めずに努力する力として発揮されます。スポーツ活動を通して培われた非認知能力が認知能力に影響を与えることで、結果的に学力の向上につながると考えられます。※10
関連記事:非認知能力とは?ペリー就学前プロジェクトや非認知能力を育てる方法、家庭での伸ばし方について解説
運動が脳に与える影響とは?
近年の脳科学研究により、運動が脳機能に働きかけるメカニズムが次々と明らかになっています。運動が脳にどのような影響を与えるのか、最新研究を交えて解説します。
脳への血流が増加し 酸素と栄養を届ける
運動をすると心拍数が上がり、全身の血流が促進され、脳への血流も増加します。脳は体の中でも特に多くのエネルギー(酸素とブドウ糖)を消費する器官であり、その活動は血流によって供給される酸素と栄養に大きく依存しています。
運動によって脳への血流が増加することは、さまざまな研究で確認されています。例えば、早稲田大学の研究グループは、小学5年生~中学3年生計41名を対象に、軽い運動中の前頭前野(思考や判断を司る脳の司令塔)の血流変化をfNIRS(近赤外分光法)という装置で測定しました。その結果、単調なストレッチではあまり変化が見られなかったものの、座ったまま体をひねるストレッチや片足立ち、手指の体操など、ある程度の身体的・認知的負荷を伴うわずか10~20秒の運動によって、前頭前野の血流が顕著に増加することがわかりました。※18
脳への血流が増えることで、脳細胞が必要とする酸素や栄養がより効率的に供給されます。その結果、神経細胞の活動が活発になり、情報処理能力や集中力、記憶力といった認知機能が向上すると考えられます。運動は、脳に新鮮なエネルギーを送り込み、その働きを最適化するための重要な手段といえます。
記憶力と学習能力の鍵であるBDNFが増える
運動が脳に与える影響のなかで特に注目されているのが、「BDNF(Brain-Derived Neurotrophic Factor:脳由来神経栄養因子)」と呼ばれるタンパク質の増加です。BDNFは、神経細胞の成長や生存、神経細胞同士のつながり(シナプス)の強化を促す働きがあり、その重要性から「脳の栄養」や「脳の肥料」とも呼ばれています。
多くの研究が、運動、特に有酸素運動がこのBDNFの分泌を促進することを示しています。BDNFが増加すると、神経細胞の新生や既存の神経回路の強化(シナプス可塑性の向上)がみられます。これは、学習や記憶のプロセスにおいて極めて重要です。新しいことを学ぶときや記憶を定着させるときには、脳内で新しい神経回路が形成されたり、既存の回路が変化したりする必要があるからです。※19、20
BDNFは、特に記憶を司る脳の領域である「海馬」で重要な役割を果たしています。高齢者120名を対象とした無作為化比較試験では、運動によって海馬のBDNFが増加することで、記憶機能が改善する可能性が指摘されています。※21
10歳児の例では、実際に脳をMRIでスキャンしたところ、体力のある子どもは海馬が大きい傾向があるという報告もあります。※12
ただし、運動の種類や時間によってBDNFの効果に違いが生じる可能性も指摘されています。BDNFは、特に長期間の継続的な運動(慢性的な運動)による脳の構造的な変化や機能向上(神経新生など)に強く関わっていると考えられています。一方、急性運動後に末梢血中のBDNFがわずかに増加する傾向が見られるなど、1回の運動の直後に見られる一時的な認知機能の向上については、BDNFの関与は示唆されているものの、その役割はまだ完全には解明されていません。※19、22
やる気と集中力を高める脳内物質が活性化
運動は、私たちの気分や意欲、集中力に深く関わる神経伝達物質のバランスにも影響を与えます。代表的なものに、ドーパミンとノルアドレナリン(ノルエピネフリン)があります。
ドーパミンの増加
ドーパミンは、快感や意欲、学習意欲、集中力に関わる神経伝達物質で、「やる気ホルモン」とも呼ばれます。運動をすると、脳内でドーパミンの分泌が促進されることがわかっています。ドーパミンが増えると物事に対する興味や関心が高まり、感覚が研ぎ澄まされ、集中して課題に取り組むことができるようになります。運動後に気分がすっきりしたり、勉強や作業がはかどったりするのは、このドーパミンの効果が一因と考えられます。
ノルアドレナリン(ノルエピネフリン)の増加
ノルアドレナリン(ノルエピネフリン)も運動によって分泌が促される神経伝達物質であり、交感神経の活動を高める効果があります。ノルアドレナリンには、覚醒レベルを高め、注意力を向上させ、思考を柔軟にする働きがあります。さらに、記憶の定着にも関与している可能性が指摘されています。
これらの神経伝達物質の分泌が運動によって活性化されることで、子どもたちに以下の効果があると考えられます。
・授業により集中しやすくなる
・課題に対して意欲的に取り組めるようになる
・学習内容を効率的に記憶できるようになる
実際に、運動後の子どもは集中できる時間が長くなることや、運動習慣のある子どものほうが勉強を苦にせず、宿題などを最後までやり遂げる確率が高い傾向があることも報告されています 。※12
海馬と前頭前野が発達
運動の効果は、一時的な脳機能の向上だけにとどまりません。長期的に運動を続けることで、学習や思考にとって重要な脳の特定の領域そのものが変化する可能性も示唆されています。特に注目されているのが、記憶の中枢である「海馬」と、計画、判断、意思決定、自己制御といった高次認知機能を司る「前頭前野」です。
海馬への影響
前述の通り、海馬は記憶形成に不可欠な領域です。多くの研究において、有酸素運動が海馬の健康や機能を維持・向上させることが示されています。運動による血流増加やBDNFの作用が、海馬の神経細胞の新生や生存を促し、その容積を維持、あるいは増大させる可能性も指摘されています。体力のある子どもの海馬が大きい傾向があるという報告も、この考えを支持します。※12、23、24
前頭前野への影響
前頭前野は、「脳の司令塔」と呼ばれる領域です。目標達成のために行動を計画し、実行し、状況に応じて修正するといった高次認知機能である「実行機能(Executive Functions)」を担っています。後述しますが、実行機能は学業成績と密接に関連しており、学校生活で求められるさまざまな能力の基盤となります。※25
複数の研究により、運動は前頭前野の活動や機能にも良い影響を与えることがわかっています。運動中や運動後に前頭前野の血流が増加したり、活動が活発になったりすることが観察されており、これが実行機能の向上につながると考えられます。※18、25
ここまでご紹介したように、運動は血流改善、神経栄養因子の増加、神経伝達物質の調整、そして脳の海馬や前頭前野の発達促進といった多様なメカニズムを通じて、子どもの脳機能と学習能力にポジティブな影響を与えていると考えられます。
幼児期の「遊び込み」が学力の土台を作る
神経系の発達が完成に近づく6〜12歳の時期を「ゴールデンエイジ」といい、その時期に到達する前の乳幼児期から小学校入学前まで(およそ0~6歳、または1歳半~5歳ごろ)の時期を「プレゴールデンエイジ」と呼びます。具体的な年齢についてはさまざまな区切り方がありますが、一般的にプレゴールデンエイジは、脳と神経系が驚異的なスピードで発達する極めて重要な時期とされています。※26
この時期の経験、特に「遊び」を通じた身体活動は、その後の運動能力はもちろんのこと、認知能力や学力の土台を築く上で計り知れないほどの価値を持っています。
脳と神経が急発達する「プレゴールデンエイジ」
生まれたばかりの赤ちゃんの脳には、すでに膨大な数の神経細胞(ニューロン)が存在しますが、それらをつなぐシナプスはまだ十分に発達していません。幼児期には、これらの神経細胞が活発につながり合い、複雑な神経回路網が形成されます。子どもが周囲の世界を探求し、さまざまな感覚刺激を受け取り、体を動かす経験を通して、神経回路の発達が促されるのです。
特に、多様な動きを経験することは、脳から体への指令を伝える神経回路(運動神経系)と体からの感覚情報を脳に伝える神経回路(感覚神経系)の両方を発達させます。走る、跳ぶ、転がる、登る、ぶら下がる、投げる、蹴る、つかむといった基本的な動きを繰り返し経験するなかで、脳は体の各部分をどのように協調させて動かせばよいかを学習し、その指令をスムーズに伝えるための神経経路が強化されていきます。この時期にさまざまな動きに挑戦し、「できた!」という経験を積み重ねることが、後の運動能力の基礎となる「動きの引き出し」を増やすことにつながります。※7、27、28
しかし、現代社会では、生活の利便性向上や安全への配慮、遊び場の減少などにより、子どもたちが多様な動きを経験する機会が減っています。特定のスポーツに必要な動きだけを繰り返したり、室内での遊びが中心になったりすると、かつての子どもたちが日常の遊びを通して自然に獲得していたような汎用性の高い身体コントロール能力が育ちにくい可能性があります。脳と神経系が発達するプレゴールデンエイジに、意識的に多様な動きを取り入れた遊びを豊かに経験させてあげることが、将来の心身の発達にとって非常に重要です。※29
関連記事:なぜ幼児期の運動は大切なの?幼児期運動指針や運動遊び、モンテッソーリ教育における運動の敏感期について解説
学童期の運動が学習意欲と実行機能を伸ばす
学童期においても、運動は引き続き子どもの脳と心の発達、そして学力向上に重要な役割を果たします。特に、授業への集中力や記憶力、そして学習を計画・実行していく上で不可欠な「実行機能」の発達に、運動が大きく貢献することがわかってきました。
集中力・記憶力の向上
小学校の授業では、先生の話を集中して聞いたり、新しい知識を記憶したりする能力が求められます。運動は、これらの能力を直接的に高める効果があることが示されています。
前述のように、運動は脳への血流を増やし、ドーパミンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質の分泌を促します。これにより覚醒レベルが上がり、注意力が向上し、集中して物事に取り組むことができるようになります。
ある研究では、10代の子どもたちが12分間ジョギングしただけで、その後1時間近くにわたって集中力が高い状態が続き、読解力が向上したという結果が報告されています 。別の研究では、たった4分間の運動でも集中力が改善され、10歳の子どもが注意散漫にならずに課題に取り組めるようになったと報告されています。※12
これらの研究は、授業前や勉強の合間に短い運動を取り入れるだけでも、学習効率を高める効果が期待できることを示唆しています。
さらに、運動は記憶力を高める効果も期待できます。特に、記憶の中枢である海馬の機能を高める働き(BDNFの増加など)により、学習内容の定着を助けると考えられます。体力のある子どもは記憶力に優れている傾向があるという研究結果も報告されています。※23、24
集中力や記憶力の向上は、日々の授業態度や学習成果に直接反映されます。先生の話をより深く理解し効率的に記憶することで、学習内容の習得がスムーズになり、結果として学力テストの成績向上につながります。実際に、9歳児を対象とした研究では、有酸素運動後に読解力だけでなく、自己管理能力(計画性など)も向上したことが報告されています。※30
計画力・問題解決能力に重要な実行機能の発達
学童期において特に重要なのが、高次脳機能のひとつである「実行機能(Executive Functions)」の発達です。実行機能とは、目標を達成するために自分の思考や行動をコントロールする働きです。勉強の場面においては以下のような能力が含まれます。※25
抑制機能
衝動的な行動や不適切な反応を抑える力
例:授業中におしゃべりしたいのを我慢する、集中を妨げる刺激を無視する など
ワーキングメモリ(作業記憶)
情報を一時的に保持し、同時に処理する力
例:先生の指示を覚えて作業する、計算の途中の数字を覚えておく など
思考の柔軟性(認知シフト)
状況に合わせて考え方や行動を切り替える力
例:問題の解き方を変えてみる、複数の課題に効率的に取り組む など
計画力
目標達成までの手順を考え、段取りを組む力
例:宿題の計画を立てる、テスト勉強のスケジュールを考える など
これらの実行機能は学業成績と強く関連しており、授業への参加や宿題の遂行、テストの準備といったさまざまな学習活動を成功させる上で不可欠な能力といえます。※25
複数の研究によって、運動が実行機能の発達に良い影響を与えることが示されています 。例えば、北海道教育大学の森田憲輝氏らの研究チームは、日本の小・中学生延べ1,500名以上を対象に、3年間にわたる追跡調査を行いました。その結果、特に「アジリティ(敏捷性)」が高い子どもほど、抑制機能のテスト成績が良いという相関関係が明らかとなりました。※31
アジリティとは、素早く方向転換したり、状況に合わせて動きをコントロールしたりする能力のことです。鬼ごっこや球技などのアジリティを要する運動には、素早い状況判断や次の動きの予測、不適切な動きの抑制といった、実行機能(特に抑制機能や思考の柔軟性)と共通する認知的な処理が多く含まれています。アジリティを高めるような運動を日常的に行うことで、脳の実行機能を司る神経回路(特に前頭前野)を鍛え、学業に必要な自己コントロール能力の向上につながる可能性があります。
さらに、岐阜協立大学の大坪健太氏らの研究チームによる研究からも、運動と実行機能の関係性が見えてきます。前述のように、この研究チームでは平成29年度の全国体力テストおよび平成30年度の全国学力テストに基づき、体力と学力の両方が高い子どもたちの特徴を調べています。その結果、体力レベルは運動習慣と、学業成績は学習時間の「量」と相関している傾向が見られました。さらに、体力と学力の両方が高いグループは、学習計画の立案や授業の準備・復習といった学習の「質」に関連する習慣や、睡眠・朝食といった基本的な生活習慣が良好だったこともわかりました。これは、運動を通して培われる自己管理能力や計画性といった実行機能が質の高い学習習慣を支え、学力向上に結びついている可能性を示唆しています。運動は、学習に取り組む「姿勢」そのものを育むのかもしれません。※5
ストレス軽減と心の安定が学習意欲につながる
学童期は、勉強や友人関係など、子どもたちがさまざまなストレスに直面する時期でもあります。このようなストレスを軽減し、心の安定を保つ上でも、運動は重要な役割を果たします。
体を動かすと気分転換になり、爽快感も得られます。運動によってストレスホルモン(コルチゾールなど)の分泌が抑制されたり、リラックス効果のある神経伝達物質(セロトニンなど)の分泌が促されたりすることで、不安や抑うつ気分が軽減されるからと考えられます。
実際に、日常的にたくさん歩く子どもは、時間制限のある計算課題を与えられてもストレスホルモンの濃度が低いままだったという研究結果があります。また、運動習慣のある子どものほうが、勉強に対してネガティブな感情を抱きにくい傾向にあると指摘されています。※12
このように、学童期の運動は集中力や記憶力といった直接的な認知能力を高めるだけでなく、学習を計画・実行するための実行機能を発達させます。さらに、運動はストレスを軽減し心の安定をもたらすため、子どもたちの学習意欲と学力向上を多方面からサポートしているといえます。
幼児期・学童期は運動や身体活動を積極的に取り入れよう
子どもの運動・体力と学力・認知機能の間には相関関係があること、運動が学力を「引き上げる」可能性があることについて、さまざまな研究に基づきご紹介しました。特に、脳が著しく発達する幼児期の「遊び込み」は、多様な動きを通して脳神経系の土台を作り、その後の学習能力の基礎を育みます。また、学童期においては運動が授業への集中力や記憶力を高めるだけでなく、学習を計画し実行する上で重要な「実行機能」を鍛え、ストレス軽減や心の安定をもたらすことで、子どもたちの学習意欲と学力向上を力強くサポートします。有酸素運動や自由な遊びを通して、多様な身体活動を取り入れながら、子どもが楽しく継続できる習慣づくりを心がけましょう。
参考資料
※1 生駒忍. (2011) 体力は経済力とは無関係に学力と相関する―小・中学生全国調査データの定量的検討. Child science : 子ども学. 7. 54-57.
※2 令和6年度全国体力・運動能力、運動習慣等調査 集計結果
※3 令和6年度 全国学力・学習状況調査 報告書・調査結果資料
※4 多治見市教育委員会 教育研究所. 運動ができる子は、勉強もできる! スポーツ庁「体力と学力の関連についての分析事業」調査結果より.
※5 大坪健太ほか. (2023) 児童の体力および学力と生活習慣との関係-体力と学力を包括的に捉えた文武両道の観点から-. 教育医学. 68(4). 235-246.
※6 農林水産省. 令和元年度 食育白書. 第2部 第1章 第1節 子供の基本的な生活習慣の形成 1 食に関する子供の基本的な生活習慣の状況.
※7 スポーツ庁Web広報マガジン DEPORTARE. 運動ができるようになると、アタマもよくなる!? 専門家に聞く!子供の能力を引き出すためのメソッド.
※8 Katharina Köble, et al. (2022) A Better Cardiopulmonary Fitness Is Associated with Improved Concentration Level and Health-Related Quality of Life in Primary School Children. J. Clin. Med. 11(5). 1326.
※9 Maite Pellicer-Chenoll, et al. (2015) Physical activity, physical fitness and academic achievement in adolescents: a self-organizing maps approach. Health Education Research. 30(3). 436–448.
※10 青山学院大学 安井健悟研究会. (2018) スポーツ活動は学力を向上させるのか. ISFJ日本政策学生会議2018 最終論文.
※11 Hillman, C. H. et al. (2008) Be smart, exercise your heart: exercise effects on brain and cognition. Nat Rev Neurosci. 9. 58-65.
※12 アンダース・ハンセン(著). 御舩由美子 (翻訳). (2018) 一流の頭脳. サンマーク出版.
※13 Susan Carlson, et al. (2008) Physical Education and Academic Achievement in Elementary School: Data From the Early Childhood Longitudinal Study. American Journal of Public Health. 98(4). 721-7.
※14 Julian A. Reed, et al. (2010) Examining the Impact of Integrating Physical Activity on Fluid Intelligence and Academic Performance in an Elementary School Setting: A Preliminary Investigation. J Phys Act Health. 7(3). 343-51.
※15 Kensaku Sasayama. (2019) Cross-sectional and longitudinal relationship between physical fitness and academic achievement in Japanese adolescents. Eur J Sport Sci. 19(9). 1240-1249.
※16 Kaori Ishii, et al. (2020) Joint Associations of Leisure Screen Time and Physical Activity with Academic Performance in a Sample of Japanese Children. Int J Environ Res Public Health. 17(3). 757.
※17 国立教育政策研究所 幼児教育研究センター. 平成29年~令和4年度プロジェクト研究報告書. 幼児期からの育ち・学びとプロセスの質に関する研究 <報告書 第1巻> 幼児期からの育ち・学びに関する研究.
※18 早稲田大学 研究活動. 子どもの脳血流、軽運動で増加.
※19 Julie Latomme, et al. (2022) The Role of Brain-Derived Neurotrophic Factor (BDNF) in the Relation between Physical Activity and Executive Functioning in Children. Children (Basel). 9(5). 596.
※20 Jeremy J Walsh, Michael E Tschakovsky. Exercise and circulating BDNF: Mechanisms of release and implications for the design of exercise interventions. Appl Physiol Nutr Metab. 43(11). 1095-1104.
※21 Kirk I. Erickson, et al. (2010) Exercise training increases size of hippocampus and improves memory. PNAS. 108 (7). 3017-3022.
※22 曽我啓史. (2018) 運動が認知機能に与える効果 The effects of exercise on cognitive function. 早稲田大学審査学位論文 博士(スポーツ科学).
※23 パラサポWEB. 運動すると頭がよくなる? 子どもの脳のチカラを目覚めさせる科学的運動メソッドとは.
※24 パラサポWEB. たった4分の運動で集中力アップ! 脳科学のプロが教えるキッズ脳育運動.
※25 板谷厚. (2017) 幼児の運動能力と実行機能の関係. 北海道教育大学紀要(自然科学編). 68(1).
※26 佐々木公之ほか. (2021) プレゴールデンエイジ期におけるキンダートーネン(ドイツ式子ども体操)運動学習効果の科学的検証およびSECIモデルによるナレッジ・マネジメント導入に関する研究(第1報). 中国学園紀要 (20). 177-185.
※27 順天堂大学. Good Health Journal. 幼児期の”運動遊び”の経験が、未来へつづく元気な体を育む!
※28 文部科学省. 幼児期運動指針ガイドブック. 第2章 幼児期における身体活動の課題と運動の意義.
※29 神奈川県立体育センター 指導研究部 スポーツ科学研究室. (2008) 平成20年度 神奈川県立体育センター研究報告書. 子どもの体力及び運動能力の向上に関する研究.
※30 公益財団法人 日本スポーツ協会. (2019) 令和元年度 日本スポーツ協会スポーツ医・科学研究報告Ⅳ 発育期のスポーツ活動のあり方に関する研究~アスリート育成モデルの構築~─ 第2報 ─
※31 森田憲輝ほか. (2022) 運動による子どもの認知機能向上は学習成果に影響を与えるのか. 科学研究費助成事業 研究成果報告書.